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沖縄自治研究会

沖縄自治研究会

第4回インタビュー 上

第4回 下河辺淳氏インタビュー
日時:2003年11月17日午後2時から午後4時(2時間)
ところ:第12森ビル 下河辺研究室
インタビュー対象者:下河辺淳
インタビュアー:江上能義、眞板恵夫
記録者:眞板恵夫
※、発言者の敬称


●下河辺メモの背景

江上:それでは、きょうの本題に入らせていただきます。先生のメモとこの日付によると、1996(平成8)年の3月4日、梶山官房長官とお会いになるところから始まるんですけども、その前の流れを少し整理すると、1996年に1月に橋本内閣が成立しまして、それで橋本首相が初の施政方針演説で、「沖縄の方々の苦しみ、悲しみに最大限、心を配った解決を図るため、米軍基地の整理統合・縮小を推進する」と述べます。そして、1月23日に橋本総理と大田知事が初めて会談するんですけども、このときはまだ、対立したままの話ですよね。大田知事からみれば、橋本政権は軍事内閣もしくはタカ派内閣という感じだったと思うんですね。それで、2月23日に日米首脳会談があって、橋本首相がアメリカに渡ってクリントン大統領と会談するわけですけども、このときに橋本首相は普天間問題に言及してます。それはなぜかといいますと、最初の会談で大田知事が橋本首相に対して、普天間基地を返還してもらうことが沖縄の望みだということを述べた、さらに首相の渡米直前に諸井さんが沖縄に行って会ったときの大田さんとの話で、大田知事が普天間返還を最優先に考えて欲しいと述べた。それで結局、普天間返還は難しいとという外務省の意向もあったんですけども、橋本首相はあえて日米首脳会談で普天間問題に言及したんだろうと思います。こういう流れを受けて、それでその後、高裁で代理署名裁判が大田知事側の敗訴となりました。その後、最高裁に行くんですけども、最高裁で沖縄側が敗訴することはほぼ分かっていたんで、それで、そろそろ決着をつけなければならないというところで、おそらく、梶山官房長官が先生を訪ねられて、沖縄問題大変なことになってきたから、なんとか力を貸して欲しいということをおっしゃったんだと思うんですね。それで、官房長官と会われたあくる日に、先生は大田知事と会談されています。で、先生が大田知事とじっくり話されたのはこのときが最初ですね。

下河辺:うん。

江上:そうですよね。それで、官房長官に頼まれて先生は大田知事と会談に臨まれたんですけども、そのときの大田知事の話された内容とか印象とかはどういう感じだったんですか。
下河辺:いや、もうそのときは、政府と沖縄のつなぎが終わってからですから、わりに和やかに話してましたよ。

江上:あ、そうですか。それまでに大田知事と総理とのつながりは、ある程度できていたんですか?

下河辺:できてたって言うか、その私の解説を受け入れていましたから、総理もそのつもりだし、知事もそのつもりだったんじゃないすか。

江上:ああ、要するに、普天間問題で沖縄が望むように積極的に取り組むと、橋本首相も言っていたんですか。

下河辺:言ってました。

江上:大田知事にそう話したら、大田知事は、非常にありがたいということで、心を開きはじめていたんですか。

下河辺:そうです。

江上:そうなんですね。最初は、大田知事は橋本政権に対して、軍事政権みたいだとか、タカ派政権みたいだって思っていた。そうした警戒感や反感みたいなものは、先生と話したときは薄れていたんですか。

下河辺:だから、半年かけてそれを説得しといたわけですから。


●3月の時点では敵同士だった

江上:ということは、ここの3月の時点でですか。

下河辺:だから3月では敵同士だったんです。

江上:3月時と会ったときは、敵同士だったんです。

江上:まだ、敵同士でしたよね。

下河辺:それで、8月までかかって、両方説得したわけです。

江上:やはり橋本政権に対する大田知事の警戒感っていうはかなり強かった
んですか。

下河辺:3月はね。

江上:あまり信用できない、と。

下河辺:3月ごろはそれであったし、総理の方も、知事は革新の代表であって、安保反対で基地を撤去せよっていう一本槍の意見だって思っていたわけですよね。

江上:この時点ではですね。そうすると、一応、先生としては、このころはまだあれですよね。まだ政府と沖縄のパイプ役をすることはまだ決めてらっしゃらないですよね。

下河辺:ええ、もちろん、その決めてはいなくて、決まったことは一回もないんですよね。ずっと曖昧なまま、なんか関係させられていて。

江上:(笑) 先生としてはずるずると引き込まれていったとか。

下河辺:8月にメモを出してから、事務的な話に。

江上:なったんですね。

下河辺:なっちゃった。

江上:ああ、そうですね。それまでは、ちょっと曖昧な関係だったんですね。

下河辺:そうです。

江上:そうすると、3月5日に大田知事と話をされて、大田知事がどういうことを考えて、どういうことを望んでいるか、というようなことを先生が聞かれて、それで3月7日に、2日後に橋本首相と会われたんですね。

下河辺:そうです。

江上:そのときは、おそらく大田知事がどのようなことを考えているかということを橋本首相に伝えられたんですか。

下河辺:大田知事のことも言いましたけども、なんか総理に私の意見を言って、知事もそれを理解しているから、そういう前提で、会ったらとうかって、言ったわけですね。

江上:そうしたら、橋本首相はどのように返答されたんですか。

下河辺:それなら、そういうふうにしてみようって言い出したから、だんだん知事と総理が、会って話し合う雰囲気ができてきたわけです。

江上:両方ともに、会ってみようかなっていう雰囲気ができてきたわけですね。

下河辺:そうです。

江上:先生はそういう雰囲気作りを行なう努力をなさったんですね。でも、まだ食い違いがいろいろあったけども、食い違いがあってもいろいろお二人で話されたらどうですかという風になっていかれたわけですね。

下河辺:食い違いって言うよりも、現実の認識の仕方とか、将来の見通しが分からないときでしたからね。


●3月の橋本・大田会談

江上:そうですね。ちょっとどうなるか見当がつかなかった時期ですね。そして、3月の22日に橋本首相と大田知事が会談することになるんですね。

下河辺:はい。

江上:そうですね。で、このときは、要するに、話し合ったということ、同じテーブルについたということが意味があったんでしょうか。

下河辺:とっても意味があったんです。

江上:この会談で、意見の一致を見たとか、あるいはこういう成果があったということがあったんでしょうか。

下河辺:ただ、面倒なのは佐藤内閣がアメリカとどういう密約しているかっていうのが、お互いに不信感なんですね。

江上:佐藤内閣がですか。

下河辺:佐藤内閣でしょ、返還問題は。

江上:はい、そうですね。

下河辺:そのときに、返還がよく成り立ったっていう面だけが評価されたけど、アメリカが返還に応ずるのには、相当たくさんの条件を飲まされてんじゃないかっていう。で、繊維問題がひとつだけ、表面に出ましたけども、繊維以外にいろいろあったんじゃないかっていう。特にロッキードとの関係とか、いろいろとあって、沖縄に核武装することについても、本当はいろいろあったんじゃないかとか、そういう疑いがとても濃厚でしたよね。

江上:そういう話を大田知事が橋本総理になさったんですか、その3月22日の会談で。

下河辺:いや、直接はやっぱり、言い切れませんよね。

江上:言えませんよね。

下河辺:証拠がないから。

江上:でも、大田知事の側に、沖縄返還のときのいろんな不信感があったと
いうことですか。

下河辺:あったですよ。

江上:そうですか。でも、また橋本首相は橋本首相の方で、やはり大田知事に対して不信感があったんでしょうか。

下河辺:いや、それは佐藤さんに対する不信感なんですね。佐藤さん、アメリカと密約した内容を自分で背負い込んで外に言っていませんから。自民党でも誰もわかんないんです。

江上:そうですね。

下河辺:だから橋本さんは、総理になってから聞いてびっくりしているわけ
ですから。

江上:そうですか。そういう問題があったわけですね。

下河辺:そうですね。

江上:その問題については、これからずっと話し合いが進展していくなかで、佐藤内閣の沖縄返還時における、そういった不審の根源をなすものは、
お二人の間で少しずつ解けていったんでしょうか。

下河辺:いや、解けることはないんじゃないすか。

江上:ないですよね。

下河辺:お互いにわかんないで、しゃべってんだもの。

江上:そうですね。しかし、最初に橋本総理と大田知事が会談するときに、
それが大きな暗雲となっていたけれども、そういうのが遠ざけていたというとこなんですかね。それがやはり一番大きかったんでしょうか。

下河辺:いや、いや、会ったときは、もう、そのへんとこを超えて、沖縄のためにっていうことで会ったわけですから、佐藤内閣がどんな密約しているかっていうことは棚上げにせざるを得ないですよね。どっちも知らないんですから。

江上:そうですよね。それを言っても埒が明かないわけですね。

下河辺:こないだお貸しした、楠田さんだけが知っているんですね。楠田さんには文句言ったんでけども、「楠田日記」っていうのは、そこんとこぼやかしてあるって言ったら、やっぱり総理の見解なんでしょうね。

江上:そうでしょうね。若泉さんは先生からお借りした「楠田日記」に数多く登場しますね。

下河辺:そうですね。

江上:でも、返還のときの裏舞台の実情については、楠田さんは記述していませんね。

下河辺:死んだから楠田さんの日記、ちょっと借りたいって言ってんだけど、まだうまくいっていないんですけどね。

江上:そうですか。

下河辺:本当は手帳に書いてあんじゃないかと思うんですね。

江上:そんな気がしますよね。また、そこを確認できれば、また大きな発見になりますね。

下河辺:いやあ、なんか当然だったろうっていうことを確認できるだけですけどね。


●事前から分かっていた普天間返還

江上:そうですけどね。それでその後、4月12日に普天間返還が合意されて発表されます。橋本首相がモンデール駐米大使との共同記者会見で、普天間飛行場を5年から7年以内に全面返還するということに合意した発表されました。この普天間返還については、先生は事前にわかっていたんですか。

下河辺:うん?

江上:普天間返還については、先生にとっても突然の話でしたか?

下河辺:いや、そうは思わなかったですね。それじゃ当然、普天間は返すと思っていましたから。

江上:ああ、そうですか。

下河辺:それは、普天間は移転しなくちゃ防衛上の役割は、果たせないっていうのが、海兵隊の結論ですから、移転ていうのは追い出されての移転ではなくて、軍事技術上の必要から移転するわけですから、当然、移転すると思いましたね。

江上:そうですね。先生はそれまでの経緯もずっとご存知ですから、追い出されてではなくて、要するに、普天間基地が老朽化しているから、それで、新しい施設に移ったほうがいいということで普天間返還となるだろうなということを、先生は事前にお察しになっていたんですか。

下河辺:だから、面積的には4分の1で大丈夫って米軍は言っていたわけですよね。それが地元の市長さんたちが、軍民共用飛行場で、1000メーターの滑走路がいるっていったから、小さい規模でなくなっちゃったんですよね。

江上:それで、このときの普天間返還合意は代替施設の条件付でした。これも先生の事前の理解からすると、やはり条件付になるだろうなと。つまり、普天間を返す代わりに新しい機能を備えた代替基地を。

下河辺:米軍にしたら、近代化のために移転するということであって、住民との関係で普天間を返してもらう運動に、合意したなんていうことは一切ないですよ。

江上:ということは、当然、そういうものを要求して新しい場所に移る。

下河辺:ただいま工事中だから、攻撃はやめてください、なんて言えないですよね。だから、普天間で防衛しながら、新しい基地を造ろうとしたわけですよ。移転というよりは、私は装備の近代化だと思うんですけどね。

眞板:とすると、1995年9月の米兵たちのよる少女暴行事件であるとか、大田さんの代理署拒否っていうのは、あくまでハプニングであって、米軍としてはもともと普天間からどこかへ移りたかったということが既定路線としてはあったということですか。

下河辺:そうなの。

眞板:それが何かごちゃごちゃになって、少女暴行事件があったから、じゃあ海兵隊も県民にご迷惑をかけたから、じゃあ移設しましょうねっていうわけではなかったという。

下河辺:そんな甘い話じゃないですよね。女の子がレイプされ暴行したから、移転しますなんてことにはなんないですよ。補償とかお詫びはするかもしれないけどね。それが基地の移転なんていうことにはなんないすね。


●嘉手納統合案から海上ヘリポート案へ

江上:でも、あの当時もいまもそうだと思いますけど、県民も国民もそうだろうと思っていますよね。事件が起こったから沖縄で反基地運動が激化して、アメリカが譲歩して移転することになったとおおかたの人びとはそのように受け取っています。だが、先生によれば、そんなに甘い話じゃないということですね。
 従来の考えとはずいぶん違った見解ですよね。参考になります。しかし、普天間返還の条件からすると、最初、嘉手納統合案が出てましたが、嘉手納の周辺の人たちが非常に強い反対意見が出まして、それで嘉手納統合案がだめになって、それで辺野古移転になる?
眞板:嘉手納統合案とそうですね。それから、ずうっとあとにきて、津堅島の埋め立てしてっていう

江上:津堅島は、ずうっとあとだ。それからもう、あの海上ヘリポートの話になっていくんですね。

下河辺:嘉手納の問題は、住民の反対で止めたんじゃなくて、その航空隊が受け入れんの拒否したわけです。

江上:空軍のほうが反対したんですね、海兵隊を引き受けるのを。

下河辺:海兵隊入れるの嫌だって言って

江上:米軍内部の問題がありましたね。

下河辺:そうです。

江上:それがあって、嘉手納統合案はすぐ潰れました。

下河辺:そうなの。

江上:それで、その後、橋本首相が海上ヘリポート案を発表されるんですよね。

下河辺:そうです。

江上:で、大田さんはやっぱりこの普天間返還っていうのは、自分も望んだことだし、県民も望んだことを橋本首相は、実現してくれたっていうんで、とても喜んだんでしょうね。

下河辺:いやあ、原則は県外移転っていうことですから、

江上:あ、県外移転。

下河辺:県内に決まったことは、知事としては喜べないんです。

江上:喜べない。

下河辺:選挙民に対して県外移転で訴えていたわけですから。

江上:じゃあ、やっぱり、この普天間返還を大田さんは最初から、手放しではとても喜べないような状況だった。

下河辺:喜べない。

江上:でも、橋本首相からすると、普天間返還っていうのを強く望んだんじゃあないかと。ということで、それが自分が一所懸命このアメリカ政府と交渉して、取り付けたわけだから、それをもっと喜んで、しかるべきじゃないかというようなお気持ちは、橋本首相にはあったんじゃないですか。

下河辺:いやあ、そう思っていないっていうのは、知事はもともと革新派だと思っているから、返ってきたから喜ぶっていうことじゃあないだろうって総理は思ってたんじゃないすか。

江上:あ、そうですか。じゃあ、まあ、そんな手放しでは喜ばない

下河辺:グアムにでも移転するって決まったら、喜んだかもしれない。

江上:ああ、そのことは橋本首相も分かってた。

下河辺:分かるわけですよ。

江上:そうですか。でも、そうはアメリカとの交渉ではならなかったわけですよね。アメリカはそうじゃないわけですから。

下河辺:いや、だから、知事にすると、最高裁の土地に対する裁判の結論と総理が安保上、沖縄の基地を断れないっていう、ふたつをはっきりして、止むを得ないっていうふうに言いたかったわけですよ。

江上:で、4月17日に日米首脳会談がありまして、日米安保共同宣言が発表されます。それで、先生は、7月23日に神戸の問題と保険の問題って書いてありますけども、7月23日に橋本首相と再び会談なさって、そのときに橋本首相がちょっと沖縄のことも、っていう話をなさってて、このときは先生は、いろんなテーマがありましたから、それでまた後日ということで、7月29日もう一回、沖縄の問題で橋本首相とお会いになっているんですね。

下河辺:そうですね。


●首相からまとめ役の依頼

江上:それで、このときに裏のまとめ役を橋本首相が下河辺先生にお願いしている。そのときは、まだ下河辺先生は引き受ける気はなかったと、いうふうにおっしゃってますけども。ま、橋本首相が先生に沖縄問題の裏方でまとめ役をしてくれないか、というのは、どういう理由だったんですか。どういう理由っていいますか、なんかそういう、なんかあったんでしょうか。

下河辺:だから、さっき言ったように、政府としてやってくれっていうのを
総理は、熱望したわけですよね。

江上:政府側の人間として、このときもですね。

下河辺:特別補佐官でも何でもいいから、肩書きつけるから、ちゃんとやってくれって言ったんですよ。

江上:そうすると、これは別に裏のまとめ役っていうことではなかったんですね。裏でなくて、裏でも表でもなかったんですね。

下河辺:いやあ、表です。

江上:表ですね。このときはむしろ。

下河辺:私が裏も表も嫌って言ったから、違ってきた。

江上:違ってきたわけですね。で、このときは表でやってくれと、いうふうに言われたけど、先生はこのときは、引き受けなかったんですね。

下河辺:そうです。

江上:先生、それは、引き受けられなかった理由は?

下河辺:だって、県民のこと考えたら、政府の立場に立っちゃったら話し合いできないじゃない。

江上:そういう意味ですね。政府の一員として政府の取りまとめ役するとい
うのは、沖縄県民の意向を考えて、とても引き受けられなかったと。

下河辺:そう。

江上:そういうことですね。そのあとに、8月6日に大田知事と沖縄で、会われますね。これは、もう、初めから大田知事と会われるために、だけに行かれたんですか。

下河辺:そうです。

江上:これは、橋本総理とか、あるいは梶山官房長官とかの?

下河辺:関係ないです。

江上:ぜんぜん関係ない。ただ、先生ぶらりと行かれた?

下河辺:ぶらりとというか、吉元がちゃんと段取りしてくれましたから。

江上:ああ、そうですか。そうすると、吉元副知事にはこのときに、やはり先生に間に入って欲しいという意向があったんですか。

下河辺:いや、いや、もう、間に入っていたわけですから。

江上:もう間に入っていたわけですね。

下河辺:そのときは、私が行くことの段取りをしただけであって、関係はできていたわけです。


●「下河辺メモ」の作成

江上:関係はできていたわけですね、明確な取りまとめ役ではなくて。それで吉元副知事の段取りで8月6日に大田知事と会われ、その3日後の8月9日に副知事と官房長官と、東京海上の研究所で会われました。それで大田知事からも、間に入ってまとめて欲しいと言われ、このときに下河辺先生は、日本政府と沖縄県をまとめる裏役を引き受けることを決心したと考えてよろしいでしょうか。

下河辺:裏役って言うよりも、私の考え方をメモにするから、それを見てくれっていうことを言っただけなんですよ。

江上:そうですか。自分の考え方を示すから、それでいいか、ということですか。

下河辺:いいかどうかよりも、それを参考にして、国と県との間で、話し合いをしなさいっていうことを言ったわけです。

江上:ああ、そうすると、先生のメモ、いわゆる「下河辺メモ」を作成して示すからと。

下河辺:そう。

江上:作成して示すから、少し考えたらどうかということだったんですか。

下河辺:そうです。

江上:そういうことをこのときに、ある意味では予告なさったわけですね。

下河辺:そう

江上:そういうことですね。でもしかし、そういうことをさなるということは、すでにそういう役割を始めてらっしゃったということですね。

下河辺:そうね。

江上:そういうことですね。それで、8月12日にその非常に重要な先生のメモが作成されて出てくるわけですけども、その下河辺メモの作成は、先生の独断で作られたんですか? それともいろんな方々に相談なさったんですか。

下河辺:それはもう、ずっと引き続いてやっていたわけだから、メモを書くときは私の記憶で、全部書いちゃったから、誰とも会ってませんよ。

江上:橋本首相とも大田知事とも、あるいは長い間、沖縄ともお付き合いがあるから、そういう蓄積の中で先生が独自に作成されたわけですね。

下河辺:まあ、要するに結果を整理しただけですからね。

江上:特別に誰にも相談されることはなく、先生が独自で書いたわけですね。先生の考え方をまとめられたわけですね。

下河辺:そうです。


●「下河辺メモ」を見た首相の反応――亜熱帯研究所構想に意欲

江上:そういうことですね。それで、このメモを橋本首相にお見せになるわけですよね。

下河辺:そうです。

江上:そのとき、橋本首相は先生のメモを見られてどんな感じでしだった?

下河辺:これでいいんじゃないか、と。そして、県の意向を確かめようと、ただ総理自身では、提案したプロジェクトの中の亜熱帯研究所っていうのは興味があるねえっていう話はしてました。

江上:そうですか。橋本総理が亜熱帯研究所に興味があるとおっしゃったんですか。

下河辺:亜熱帯研究所を国際級のレベルで造ったらどうかって言ってましたね。

江上:そうですか。

下河辺:だから、それじゃあそうしましょうって言っていたら、なんか知事
がその話をしたら、自分で作ったちゃったんですよね。

江上:県のほうでですね。

下河辺:県のほうでね。だから、橋本さん、がっかりして、知事が自分でやるら、それで任せようって言って、それでおしまいになっちゃった。

江上:ちょっと段取りが違っちゃったんですね。先生はそのことを再三、指摘されていますね。

眞板:先生、それで、そのくだりなんですが、御厨先生のオーラルを拝見するとですね。県立で先に作らせて、それから、国立化へ向けて努力しようっていうようなお話が、実はこの中に出てくるんです。

下河辺:県がそう言ったんですか?

眞板:いえいえ、下河辺先生がこの中でそういうお答え方をなさっているんですよ。

下河辺:いやあ。だから、いまとなってはしょうがないと、県立なんかじゃとてもだめじゃないっていうことを言ったことは確かです。

江上:でもできちゃったんですね。

下河辺:政府として大蔵省にしたら、県立でできたものを国立にするなんて経験ないすもんね。

江上:そうですね。別ですからね。県で作っちゃったら国は関係ない、って感じになってしまいますね。私も長い間、琉球大学にいましたが、国立大学ですから沖縄県とはなかなか一緒に仕事ができないんですよね。予算も権限もぜんぜん違うから。

下河辺:それに、やっぱり、国が造ったら、ちょっといいと思ったのは、さんご礁の専門家が、一人だけいたんですね。

江上:山里先生ですか。

下河辺:山里さん。彼だけが世界に通用する学者だったんで、その学者を頼って、国立を造っときゃあ良かったなあと今でも思ってんですけど。一度、県立で作っちゃうと、文部省としたらなかなかちょっと、国立に直すこと、難しいですよね。

江上:そうでしょうね。それで、梶山官房長官もそのとき、下河辺先生のメモを見られたと思うんですけども、官房長官は何かいわれましたか。

下河辺:別に何もっていうか。なんか少しずつ実現するといい、っていうことは言ってくれましたけど。たくさん、提案出したから、一度にはとてもできないって言って、

江上:先生のメモを事前に古川官房副長官も見られたんですか。

下河辺:もちろん、古川と一緒で親しい吉元と私と古川と3人で、議論したんですから。

江上:そうですね。古川官房副長官は先生のメモに対して何かおっしゃったんですか。

下河辺:いや、いや、これでどうなるかやってみようって、言ってくれてましたよ。彼がまとめ役だから、良い悪いっていう感じじゃ発言しませんからね。

江上:なるほど。吉元さんはどうだったでしょう。

下河辺:吉元さんも、政府がこれをやってくれんなら、ありがたいっていう立場でしたから。

江上:ああ、そうですか。

下河辺:私のメモに対する討論っていうのはなかったですね。

江上:じゃあ、もうみんな賛成されたんですね。

下河辺:みんな

江上:異議なしですね(笑) これでいけるぞ、というわけですね。むしろ
沖縄側としては、吉元さんとしては、これだけ先生のメモに提示されたものを本当に日本政府がやってくれるんだったらありがたいという感じだったんですね。

下河辺:そういう立場でした。

江上:それで、8月28日に代理署名訴訟の最高裁判決が出まして大田知事の敗訴が決まります。で、この後の9月5日に、先生のメモをもとに古川試案が作られるんですね。9月5日に古川官房副長官が先生のメモをもとに、公式発表できるような試案を作られたんですね。

下河辺:うん

江上:そして橋本総理のところで、下河辺メモの公式化について、議論がありました。でもこの議論では、先ほどの先生のご意見だと、先生のメモの中身についてはほとんど異論がなくて、それをどのように公式の政策として発表できるものにするか、についての話し合いに終始したんですか。

下河辺:そう、そう


●50億円の調整費と政策協議会の設置を提案

江上:そういうことですね。で、首相自ら、50億円の調整費と政策協議会の設置を提案されたということですか。橋本首相が独自にふたつのアイディアを出されたんですか。

下河辺:いや、いや、大蔵省と十分相談してあったと思いますよ。

江上:橋本総理が大蔵省と話し合った結果、ふたつの提案が出たということですね。

下河辺:総理が勝手に言うってことはないです。

江上:なるほど。それらは十分、根回しして調整した上で出てきたわけですね。それで、50億円の調整費と政策協議会の設置が検討されていることは、先生は事前に十分ご存知だったんですか。

下河辺:そりゃそうです。

江上:最終的に大蔵省等の調整を経て、合意を得られて50億円の調整費と政策協議会を設置するということが古川試案の中で盛り込まれたわけですね。

下河辺:そうです。

江上:その後、9月7日に沖縄で吉元副知事と会談されていますけど、この
内容を巡って吉元副知事と話されたんですね。

下河辺:いやあ、知事と会うための準備をしただけですよ。

江上:そうですか。そうすると次の8日の方が本番ですね。

下河辺:いや、その公式には8日ですけども、8日にやったことはぜんぶ、7日に吉元くんに解説して、どうだろうって言って、彼がそれでいいと思うって言うから、そのまま、知事にしゃべったわけです。

江上:そうすると、おそらく8日に先生と大田知事が会われたときには、もう7日に吉元副知事と大田知事の間でほとんど話し合いは済んでいたんでしょうね。

下河辺:ついたっていうか、ついといてくれないと、困るって言ったから、ちゃんとやってくれたですよ。


●基地に対する住民の意識変化ーー県民投票結果の見方

江上:吉元さんがやってくれた。9月8日は、先生は大田知事とかなり長時間の会談をなさったということですね。

下河辺:それはその、こういったメモを巡る話は、もう十分事前に吉元くんがやってくれているから、なくて、むしろ、沖縄県内の政治情勢の議論が長かったんです。

江上:ああ、そうですか。

下河辺:県民投票っていうことで、どうなっていくか、名護の市長選挙から、ずっと一連のいろんな県民に対する意見聴取があった。この傾向を議論したんですね。そして、だんだんだん基地反対派ではなくなってきているっていう、ことがテーマだったわけです。

江上:基地の反対派でなくなってきているっていうのは、それは県民がですか。大田知事がですか。

下河辺:いや、いや、住民たちが

江上:住民たちが、ですか。

下河辺:投票の結果を見ていると、反対派のシェアがどんどん下がっていくんですね。

江上:それで、この日に県民投票が実施されていますね。先生が御厨先生のインタビューの中で、知事は県民投票にあまり賛成でなかったと語っておられます。ですが実は、私の記憶によると、大田知事が代理署名を拒否して、当時の村山内閣と真っ向から対立したときに、大田知事が国を相手にけんかするのは大変だ、それで、連合沖縄に是非、自分をバックアップして欲しいということを頼んだんです。それで連合沖縄の渡口さんが、じゃあ住民投票でもやって大田知事を支援するからということになって準備が始まったんです。しかし結果的には、時とともに次第に国と橋本内閣は和解するような状況になき、大田知事にとって、自分を助けてくれるはずの県民投票が足かせになっていった、ということでしょうか。

下河辺:足かせになったから困ったっていう、今は選挙にとって、そういうことが言えるんだけども、沖縄県にとっては、国とのつながりが見えてきたっていう、明るさとして受け止められてましたよね。

江上:そうですね。それで、県民投票をやれば、結果は「ノー」となることがわかっていたんですね。

下河辺:わかっていたつもりが、結果見たら、そうじゃなかったから、驚いたんですね。

江上:驚いたんですか。

下河辺:反対派が意外と小さかったんですね。

江上:投票率が意外と低かったですね。

下河辺:そうです。だから、知事としてはちょっと混乱した時期でした。それは、主に投票の中身から見ると、戦争を知らない若者の票が多いんですね。だから、現実にその日のときのめしの食い扶持っていう点で、反対してこないんですね。基地があるからこそ、入ってくるお金も少なくないし、そういう現実性がでてきちゃったから、なんか県民投票っていうのは、非常に複雑な情勢になっていました。

江上:そうですね。投票率が予想したより低かったというのは、そのときの沖縄県民の複雑な心情を反映していましたね。

下河辺:そのことが、とうとう大田さんが落選するっていうところまで、広がっていっちゃったわけですよね。

江上:そうですね。大田知事も沖縄の複雑な状況をずいぶん、気にしていたんですが。

下河辺:気にしてたっていうより、私があなたは選挙に今度負けると。負けるのは、若手の票がつかめてないと、若手の票がつかめないのは、戦争にこだわっているからだって言ったら、大田さんは自分は政治家として、そういう政治家として終わっていきたいと。だから、負けることよりも、説を曲げないっていうことで、いきたいっていうから、私はそれは立派ですって言って。だから、選挙の前にも、ちょっと負けるなっていう気がしたし、知事自体もその気になっているなって、思ったですね。

江上:それは、大田さんの3期目の知事選の直前ですね。

下河辺:そうです。

江上:それで、海上基地反対ってということを大田さんが宣言したのは、その後の選挙ですね。

下河辺:そうです。

江上:でも、先生の表現では、大田知事は、県民投票に賛成でなかったとい
う、ふうに書かれているんですけども。これは、どういう?

下河辺:いや、そのなんていうんですかね。県民投票で、圧倒的に軍事基地に反対が多いと思ったからなんですね。で、そういうの出すと、ちょっと、政府としても、アメリカとしても、ちょっと困るんじゃないかっていう。

江上:そういう意味ですね。そういう結果が出てしまうと困るというわけですね。

下河辺:そう。

江上:いま、せっかく和解しようとしているのに、それに水をかけるような話になりますからね。

下河辺:逆に出たんで、ちょっと、扱いが困ったんじゃないすか。


●9月の橋本・大田会談

江上:そうですね。それで、9月9日にさらに、事前の打ち合わせをなさってますけども、もうこのときは、先生のメモをもとに橋本内閣の公式発表が出るという直前ですけども、このときの事前の打ち合わせは、どういうことだったのですか。

下河辺:どういうことっていうと?

江上:9月10日に首相と知事が会談しますね。その前に打ち合わせをする
というのは、どういうことだったんですか。

下河辺:それは3月から半年かけた、積み上げそのものだから、

江上:その総整理をなさったんですか。

下河辺:調整っていうか、総理と知事が、その半年間のプロセスを了解したっていう形ですよね。

江上:そして、9月10日に首相と知事が二人だけで会談なさったんですか。

下河辺:二人だけっていうのは。

江上:お付なしで。

下河辺:お付なしでなんでこと、ありえませんよ。総理が。

江上:そうですね。

下河辺:だから、しかるべき人が。

江上:周りにお付きの人たちがいたんだけども、実質的には直接二人で話されたということですか。

下河辺:話し合った。

江上:そういうことですね。このとき、先生はそばにおられたんですか?

下河辺:このときもいたと、思います。

江上:そうですね。でも話のやり取りはお二人だけで進んだということですね。このとき、お二人でどういうことを話されたのですか。

下河辺:いや、それはこれまでの調整のプロセスを説明したから、それを巡って二人でしゃべってましたよ。

江上:そうですか。もうこのへんのところは、実質的にもうシナリオの終わりの段階で、形式的なものですね。詰めの段階ですね。

下河辺:形式には結論の会議ですけどね。

江上:それで、お二人の会談のあとはみんな集まって、短時間で打ち上げるという考え方でやったと先生は述べておられます。その後、要するに沖縄問題についての内閣総理大臣談話・閣議決定が出されます。これを各新聞は一面トップで報道したわけです。それで、11日、12日に大田知事は関係者と徹底的に話し合い元気になっていったということですが。
 大田知事は、自分はもう決断した、それに国も全面的に経済振興策にバックアップしてくれるからこれでいくんだという覚悟ができたということでしょうか。

下河辺:ま、そういう経済的なことがあるけれでも、政治的にちょっと知事とのけんかじゃなくて、政府が援助してくれるっていう自信ができたのが、一番うれしかったんじゃないすか。


●橋本首相、海上ヘリポート案言及について

江上:そうですね。政府の支持が取り付けることができたということが大きかったでしょうね。沖縄の経済振興策は、政府の支援なかったら何もできませんからね。その後、9月13日に大田知事が代理署名の合意書を政府に送る。ここで大田知事と橋本総理の実質的な和解が成立して、このあと総選挙になるわけですね。そこで一件落着となりましたが、そのあと、橋本首相が沖縄に入られて、海上ヘリポート案というのに、初めて言及されます。これについては、先生のところに以前からいろんなアメリカや日本の関係の業者や会社が、プランを持ってきましたよね。

下河辺:9月17日の総理の沖縄入りは、普天間の土木工事で行ったんじゃないすからね。

江上:ええ。

下河辺:沖縄復帰の記念を祝して、総理の挨拶をして、その中で、安保上沖縄を軍事基地にすることは、了解して欲しいっていう声明をしに行ったんですよ。

江上:でも、その挨拶の中でちょっとだけ触れた海上ヘリポートがクローズアップされて、マスメディアでも大きく取り上げられました。

下河辺:それは、ついでくらいの話ですね。

江上:そうですか。

下河辺:演説の内容は、普天間問題じゃないすから。

江上:でも、とくに沖縄側では、移設先がどこになるかが非常に話題になっていて、最初の嘉手納統合案が暗礁に乗り上げてしまって、すると次はどこかとうことで、海上ヘリポート構想を橋本首相が言及したとたんに大きく取り上げられたんですね。

下河辺:いえ、そんなことはないと思いますよ。

江上:そうですか。

下河辺:海上基地なんていうのは、総理や知事の話じゃないですからね。

江上:はあ、そうですか。

下河辺:漁民たちの話とか、市長の話とか、が中心でしたから

江上:でもやはり、このとき首相が移設案に言及されたのは影響が大きかったのではないでしょうか。

下河辺:ぜんぜん、触れないっていうのは変でしょう。

江上:そうですね。

下河辺:触れる立場はないから、一応、触れたっていうだけじゃないすか。

江上:一応、触れたといういうだけで、どうなるかは、その後のいろんな動向を見守るということですかね。

下河辺:そう。

江上:それで、先生のスケジュール・メモによりますと、10月3日に首相と官房長官と古川官房副長官、大田知事と吉元副知事と先生で会食をなさって、これでもう、お疲れ様でしたという感じだったんですか。

下河辺:そうです。

江上:どちらで会食なさったんですか。

下河辺:これはどこでやったのかな。官邸でやったんじゃないすかね。

江上:そうですか。

下河辺:昼飯ですから。

江上:はあ、そうですか。先生としてはそれまで一所懸命、解決に向けて働
きかけてこられたのですから、これで本当にほっとなさったんでしょうね。

下河辺:ほっとしませんでしたね

江上:あ、そうですか(笑)。

下河辺:これからが大変だと思いましたよ。

江上:ほう、そうですか。これはまだ、第一歩に過ぎないという感じですか。

下河辺:一歩というよりも、国と県との関係の事務でしかないわけですよ。
だけど、沖縄県には沖縄県の仕事がいっぱいあるわけですよ。それにも私、触れてたから、これから本当にどうしたらいいか、っていうのは大変でしたよ。この当時は。

江上:そうですか。まだやはり、前途に難問が山積しているという思いが強かったのですか。

下河辺:そうです。

江上:それでこのあとに、ある新聞で先生を首相補佐官に、という記事が出ます。だが先生はそれをお断りになって、あくまで政府の中に入らずにやるという姿勢を貫かれますね。

下河辺:私はそういう立場で沖縄のことを考えてきたわけじゃないから、ぜんぜんそんな気にはなりませんでしたね。

江上:そうですか。


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